バベル〜Babel〜
2007年4月30日 新作映画感想 コメント (1)
日比谷スカラ座で鑑賞。
劇場前のものすごい人だかりだったので
上映1時間前に来たのに、もうこんなに?と思ったら
それは、お隣の「宝塚歌劇団」の公演を待つ人たちでした。
それにしても、あちらはすごかったなー。
***********************************
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベル ナル、役所広司、菊地凛子、アドリアーナ・パラーザ、エル・ファニング
二階堂智
製作国:アメリカ(2006)
上映時間:143分
<ストーリー>
モロッコの山間で、兄弟がいたずらに放った一発の銃弾が
山道を走っていた観光バスに命中。その弾は乗り合わせて
いたアメリカ人夫婦の妻スーザンに当たってしまう。
一方、モロッコに旅行に出た夫婦のふたりの子供の面倒をみていたメキシコ人乳母のアメリアは息子の結婚式に出席するため、子供達を連れてメキシコへと向かう。東京では、聾唖の障害を持つチエコとヤスジロー親子がお互いの心の溝を埋められない日々を送っていた。モロッコで放たれた1発の銃弾が
幾多のドラマを生み、様々な人々を繋いでいくこととなる・・・。
***********************************
この映画を観るまえに「ニューズウィーク」日本版の
映画特集を読んだ。そこには、
『3部作の最終章はひねりなき運命論』
消えたイニャリトゥ監督のマジック
と題して好意的ではない映画評が展開されていた。
登場人物に深みが欠ける、過剰な演出に悪態をつきたく
なったという厳しいコメントが...。
しかし、最後は
カンヌやトロントの国際映画祭では好評だったし
アカデミー賞作品賞にふさわしいと思う人もいるだろう。
結局、好みは人それぞれなのだ
と結んであった。
これを読んで一抹の不安を覚えた私だったが
それは単なる杞憂で終わった。
前述の記者の映画評をふまえて言うならば、
この映画はとても私好みだった。
上映時間143分という長い上映時間であったが
ストーリーの先が気になり、全く飽きることなく
目はスクリーンに釘付けになっていた。
確かに、この映画は好き嫌いがあるとは思う。
しかし、巷で言われているほど難しい内容ではないと思うし
今までのイニャリトゥ監督作品にある「絶望感」はない。
物語の中には悲しい、どうしようもない最悪なエピソードが
いくつもあるけれど、最後は、ほんの少しだけ希望がある。
この映画のタイトルである「バベル」は
天まで届く塔を建てようとした人間の傲慢に神が怒り
罰として、互いに言葉を通じなくしたというバベルの塔伝説
からつけられたそうだ。
言語が違うもの同士ではもちろんのこと、同じ言語を話すもの
同士であっても、コミュニケーションがうまくいかなければ
お互いの気持ちは通じ合わない。
例えば、モロッコで銃弾を受けたアメリカ人夫婦は
救助を待つ間、通訳ガイドの住む村に一時的に身を寄せる。
彼らはそこに生活するひとたちとは共通言語を持っていない。
しかし、村のひとたちは彼らを受け入れ助けてくれた。
その一方で一緒に旅行していたアメリカ人ツアー客は
夫婦を見捨てて出発してしまった。
アメリカ人夫婦の子供の乳母(アメリア)がメキシコから
アメリカへと戻るためその国境を越えるとき、国境警備の
警官の執拗で非礼な言葉や態度にキレてしまったアメリアの甥。
そこでは、お互いに英語を話し一見すると言葉は完全に通じ合ってて
意志疎通はできているが、そこにはお互いを理解しようとする
意図は見えない。
日本のチエコは聾唖で音のない世界に生きている。
自分の気持ちを伝える術は、表情やしぐさ、手話しかない。
言葉を発することのできないチエコは、一生懸命に自分の
感情や気持ちを伝えようとする。が、なかなかそれは相手に
伝わらない。
コミュニケーション。
いまの自分にとっても、ある意味テーマであったので
この映画を観ていろいろ思うことが多かった。
同じ言語を持つもの同士であれば、言葉で難なく自分の気持ちが
伝えられるか?と言えば、それはそうではない。
それが、友人であったり恋人であったり、自分にとって大切な
存在の人であれば、尚更のこと、
どういう言葉で、自分の気持ちをどう伝えるのか?
それは、本当に自分の気持ちが伝わる言葉なのか?
そして、相手がどう受け止めるのか?
でも、言葉だけが重要ではないのだ。
コミュニケーションとは言葉だけで終結するものではない。
そこには、言葉以外のたくさんのことが介在して成り立っている。
だから、逆に言葉だけに頼ることはかえって危険ですらある。
「言葉で言えばわかる」
「言ってくれれば理解できた」
本当にそうだろうか?
まず、言葉にする前にお互いを取り巻いている環境や空気感
のようなものを「読む」ことが大切だと思う。
そういったものを無視していては「言葉」は到底相手に届かない。
そんなふうに思ったりする。
今さらだが、この作品はオスカーの作品賞を授賞しても
おかしくなかったと思う。監督賞然り。
「バベル」と「ディパーテッド」を比べると、申し訳ないが
私にはスコセッシ監督のあの作品は見劣りがしてしまう。
まぁ、オスカー授賞したからといって良い作品とは限らない
ので、どうでも良いのですけれどね。
最後に、音楽も素晴らしかった。
グスタボ・サンタオラージャのギターはとてもいい。
静かに心に響いてくる。
そして、最後に流れたRyuichi Sakamotoもあの映画を
締めくくるに相応しい美しい旋律でした。
★★★★☆
劇場前のものすごい人だかりだったので
上映1時間前に来たのに、もうこんなに?と思ったら
それは、お隣の「宝塚歌劇団」の公演を待つ人たちでした。
それにしても、あちらはすごかったなー。
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監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベル ナル、役所広司、菊地凛子、アドリアーナ・パラーザ、エル・ファニング
二階堂智
製作国:アメリカ(2006)
上映時間:143分
<ストーリー>
モロッコの山間で、兄弟がいたずらに放った一発の銃弾が
山道を走っていた観光バスに命中。その弾は乗り合わせて
いたアメリカ人夫婦の妻スーザンに当たってしまう。
一方、モロッコに旅行に出た夫婦のふたりの子供の面倒をみていたメキシコ人乳母のアメリアは息子の結婚式に出席するため、子供達を連れてメキシコへと向かう。東京では、聾唖の障害を持つチエコとヤスジロー親子がお互いの心の溝を埋められない日々を送っていた。モロッコで放たれた1発の銃弾が
幾多のドラマを生み、様々な人々を繋いでいくこととなる・・・。
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この映画を観るまえに「ニューズウィーク」日本版の
映画特集を読んだ。そこには、
『3部作の最終章はひねりなき運命論』
消えたイニャリトゥ監督のマジック
と題して好意的ではない映画評が展開されていた。
登場人物に深みが欠ける、過剰な演出に悪態をつきたく
なったという厳しいコメントが...。
しかし、最後は
カンヌやトロントの国際映画祭では好評だったし
アカデミー賞作品賞にふさわしいと思う人もいるだろう。
結局、好みは人それぞれなのだ
と結んであった。
これを読んで一抹の不安を覚えた私だったが
それは単なる杞憂で終わった。
前述の記者の映画評をふまえて言うならば、
この映画はとても私好みだった。
上映時間143分という長い上映時間であったが
ストーリーの先が気になり、全く飽きることなく
目はスクリーンに釘付けになっていた。
確かに、この映画は好き嫌いがあるとは思う。
しかし、巷で言われているほど難しい内容ではないと思うし
今までのイニャリトゥ監督作品にある「絶望感」はない。
物語の中には悲しい、どうしようもない最悪なエピソードが
いくつもあるけれど、最後は、ほんの少しだけ希望がある。
この映画のタイトルである「バベル」は
天まで届く塔を建てようとした人間の傲慢に神が怒り
罰として、互いに言葉を通じなくしたというバベルの塔伝説
からつけられたそうだ。
言語が違うもの同士ではもちろんのこと、同じ言語を話すもの
同士であっても、コミュニケーションがうまくいかなければ
お互いの気持ちは通じ合わない。
例えば、モロッコで銃弾を受けたアメリカ人夫婦は
救助を待つ間、通訳ガイドの住む村に一時的に身を寄せる。
彼らはそこに生活するひとたちとは共通言語を持っていない。
しかし、村のひとたちは彼らを受け入れ助けてくれた。
その一方で一緒に旅行していたアメリカ人ツアー客は
夫婦を見捨てて出発してしまった。
アメリカ人夫婦の子供の乳母(アメリア)がメキシコから
アメリカへと戻るためその国境を越えるとき、国境警備の
警官の執拗で非礼な言葉や態度にキレてしまったアメリアの甥。
そこでは、お互いに英語を話し一見すると言葉は完全に通じ合ってて
意志疎通はできているが、そこにはお互いを理解しようとする
意図は見えない。
日本のチエコは聾唖で音のない世界に生きている。
自分の気持ちを伝える術は、表情やしぐさ、手話しかない。
言葉を発することのできないチエコは、一生懸命に自分の
感情や気持ちを伝えようとする。が、なかなかそれは相手に
伝わらない。
コミュニケーション。
いまの自分にとっても、ある意味テーマであったので
この映画を観ていろいろ思うことが多かった。
同じ言語を持つもの同士であれば、言葉で難なく自分の気持ちが
伝えられるか?と言えば、それはそうではない。
それが、友人であったり恋人であったり、自分にとって大切な
存在の人であれば、尚更のこと、
どういう言葉で、自分の気持ちをどう伝えるのか?
それは、本当に自分の気持ちが伝わる言葉なのか?
そして、相手がどう受け止めるのか?
でも、言葉だけが重要ではないのだ。
コミュニケーションとは言葉だけで終結するものではない。
そこには、言葉以外のたくさんのことが介在して成り立っている。
だから、逆に言葉だけに頼ることはかえって危険ですらある。
「言葉で言えばわかる」
「言ってくれれば理解できた」
本当にそうだろうか?
まず、言葉にする前にお互いを取り巻いている環境や空気感
のようなものを「読む」ことが大切だと思う。
そういったものを無視していては「言葉」は到底相手に届かない。
そんなふうに思ったりする。
今さらだが、この作品はオスカーの作品賞を授賞しても
おかしくなかったと思う。監督賞然り。
「バベル」と「ディパーテッド」を比べると、申し訳ないが
私にはスコセッシ監督のあの作品は見劣りがしてしまう。
まぁ、オスカー授賞したからといって良い作品とは限らない
ので、どうでも良いのですけれどね。
最後に、音楽も素晴らしかった。
グスタボ・サンタオラージャのギターはとてもいい。
静かに心に響いてくる。
そして、最後に流れたRyuichi Sakamotoもあの映画を
締めくくるに相応しい美しい旋律でした。
★★★★☆
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